「何のために、生きているのだろう?」
誰でも一度は、この問いを抱えたことがあるはず。
何のために生きるのか。
「わたしのIKIGAI」は何なのか。
答えは、人それぞれ違うけれど
わたし達は、人生という旅の中で
時に「生きる意味」を見失うことがあります。
その「生きる意味」を見つけるためのヒントを教えてくれるのが、
オーストリアの精神科医、ヴィクトール・フランクル。
第二次世界大戦中のナチスの強制収容所での体験を綴った
彼の著書『夜と霧』は、今でも世界中で読まれる名著です。
過酷な強制収容所での数年間を生き延びた体験をもとにして、
彼は「ロゴセラピー」という新しい精神療法を発展させました。
この療法の核心にあるのは、「人生の意味や目的を見つける」こと。
ホスピスケアやトラウマ治療、
長期的な病気を持つ人々のカウンセリングなどで今なお使われています。
「人生の意味」を持つことで フランクル自身が、
そして彼と同じように囚われた人々が、
過酷な運命とどのように立ち向かったのか。
二つの視点から、感じてみてください。
1. 「生きる理由〜IKIGAI〜」が、生死の分かれ道となる
フランクルが強制収容所で経験した「生きる理由」の力は、 生死を分けるほどの、大きなものでした。
極寒の中での休む暇も与えられない過酷な労働、
劣悪なバラック小屋での生活、
ナチス兵からの絶え間ない暴力と侮辱、
そして、ガス室行きの恐怖…。
人間の想像を超えた残虐な環境の中、
心身ともに極限まで追いやられながらも
フランクルは、
人々がどのように生き、そして死んでいくかを
常に「観察」していたようです。
彼によれば、最も生存率が高かったのは、
「何かを成し遂げたい」という 目標や目的を持っていた人々でした。
つまり
「収容所を出たらこれをやるんだ!」という
強い使命感に突き動かされていた人たちです。
「だから、どんなに過酷でも、“今”生きる…」
過酷な環境の中でも、
この信念が、「生きる意味」となって
彼らを生かし続けたのです。
フランクル自身も同じでした。
収容所での厳しい労働の中、彼の頭の中を占めるのは、
一日に一度だけ与えられる、一杯のスープのこと。
そこに、ほんの少しでもじゃがいもの欠片が入っているかどうか…。
人間としての尊厳を奪われ続けた囚人たちは
まるで獣のように「生存の欲求」のみに苛まれ続けたのです。
でも、ある日、彼はこう思いました。
「もう、そんなことばかり考えるのはウンザリだ」と。
彼は、未来に想いを馳せました。
フランクルが思い描いたのは、解放された後の自由な世界。
オーストリアのウィーン大学の講堂に立ち、たくさんの聴衆を前に
「収容所からの生還とロゴセラピーについて」というテーマで
講演している自分の姿でした。
未来に何かを成し遂げるという、強い願望と使命感こそが、
絶望の中で「生きる意味」を見つける力となったのです。
そして、終戦後の1946年。
彼がこの時想い描いた夢は現実となります。
3年間の強制収容所生活から解放されてからわずか1年後に、
彼はウィーン大学の講堂に立ち
想い描いた通りのタイトルで講演を行いました。
彼は強制収容所からの生還という体験の全てを
人類の未来のために活かすべく、
この大学で神経学と精神医学の教授を務め、
多くの講義や講演を行い、現代の心理療法の基盤となる
「ロゴセラピー」を確立させたのです。
今日を生きるわたし達は、そうとは知らずとも、
フランクル、そして彼と同じように過酷な運命を生き延びた先人達が
命懸けで残してくれた学びと叡智の上で、暮らしているのです。
2. 日常の小さな記憶が「生きる力〜IKIGAI〜」となる
強い使命、達成したい目標が生きる支えとなる。
その一方で、フランクルは
「日常の何気ない小さな記憶」が
いかにして人々の精神を支えるかも、目の当たりにします。
ナチス兵の殴打や侮辱を受けながらも
彼を残虐な現実から救い出したのは、
愛する妻の面影でした。
"I did not know whether my wife was alive, and I had no means of finding out (during all my prison life there was no outgoing or incoming mail); but at that moment it ceased to matter. There was no need for me to know; nothing could touch the strength of my love, my thoughts, and the image of my beloved. Had I known then that my wife was dead, I think that I would still have given myself, undisturbed by that knowledge, to the contemplation of her image, and that my mental conversation with her would have been just as vivid and just as satisfying. 『Man's Search for Meaning』
「妻が生きているのかどうか知らず、知るすべもありませんでした (収容所にいる間、外に出る手紙も受け取る手紙も一切ありませんでした)。 しかし、その瞬間、それはもう重要ではなくなったのです。 わたしは知る必要がなかったのです。 わたしの愛の強さ、想い、そして愛する人の面影には、 誰も触れることはできないのだから。
たとえその時、妻が亡くなっていると知っていたとしても、 その事実に乱されることなく、わたしは彼女の姿を思い描き、 彼女との心の中での会話に没頭していたでしょう。 そしてその会話は、やはり同じように鮮明で、 満たされるものであったに違いありません。」
『夜と霧』
この章の最後は、聖書からの引用で結ばれます。
"Set me as a seal upon thine heart, as a seal upon thine arm: for love is strong as death; jealousy is cruel as the grave." — Song of Solomon 8:6 (KJV)
「私をあなたの心の印として置いてください。愛は死のように強いから。」
— ソロモンの雅歌 8:6
収容所での過酷な環境の中、彼が思い描いたのは、
愛する妻の笑顔や姿、何気ない日常の中での会話…。
何度も脳裏に再生されたその記憶が、
彼を現実の辛さから、死への恐怖から解放し、
一瞬の心の平安をもたらしてくれたのです。
取るに足らないように思える小さな日常が、
大きな心の支えに、あるいは生死の分かれ道にさえなりうる。
あなたが、生きている「今」こそが
いつか、未来のあなたを救うかもしれない。
そうでなくとも、
わたし達は誰もが、
かけがえのない一瞬の連続を生きている。
「何のために生きるのか」
その答えである
「生きる意味ーIKIGAI」には、二つの側面があることを
フランクルは教えてくれます。
過酷な運命に立ち向かう力となる
「強い使命や情熱」。
そして、
家族やパートナー、仲間や自然との繋がりから感じる
「日常の小さな喜びや記憶」。
この二つの要素は、お互いに作用し合いながら、
わたし達の生きる意味を形作っています。
大きな目標を持ち、それに向かって進むこと。
それが、困難な状況を乗り越える力となる。
日常の些細な喜びや瞬間を大切にすること。
それが、心の安らぎとなる…。
わたし達 誰もが
カタチは違っても そのどちらをも生きている。
あなたの「IKIGAI」は何ですか?
その答えは、
きっとあなたの心の中に、日常の中にあるはずです。
どんな小さなことでもいい。
それに気づいた瞬間から、
あなたの人生は、より美しく奥深い世界を見せてくれる。
あなたのIKIGAIを、もっと生きてみませんか?
それは、他の誰かとは比べようのない
宇宙でたった一つの、あなたの命だけが 描けるものだから。
愛を込めて。
Comments